2014年5月14日水曜日

第23回勉強会のお知らせ

下記の日程で、第23回の勉強会を開催いたします。
御多忙のところと存じますが、ご参加をお待ちしております。

日時:2014年6月7日(土) 14:00~17:00
会場:京都商工会議所 第一会議室

発表者:若林正博氏
タイトル:伏見学校について

また、会終了後は、懇親会を予定しております。
おおよその人数を把握したいので、参加ご希望の方は
会合の一週間前までを目安に、
事務局<toshokanshi.kansai @ gmail.com(@は半角)>までご一報ください。
twitterアカウント@k_context宛にご連絡いただいても構いません。

2014年4月5日土曜日

第22回勉強会(2014年3月29日)報告

第22回勉強会(2014年3月29日)報告
「公立図書館司書検定試験」
日時:2014年3月29日(土) 14:00-17:00
会場:京都商工会議所 第二会議室
発表者:岡田大輔氏
参加者数:11名
当日の出席者によるtwitter上のつぶやきをまとめたものはこちら


0.発表のきっかけと目的
・もともとの関心の方向は歴史というより、司書養成のカリキュラムや試験制度。
・国立国会図書館デジタルコレクションで、『全国小学校教員試験問題及解答 尋常科正教員教育科』という明治時代 の資料を見つけた。興味深いのは模範解答が載っている点。解答があることにより出題の意図や、どういう答えが求められているかが分かる。しかしこの中に図書館に関する問題は出てこない。
・では図書館員の採用試験はどうだったのか?ということで、戦前に存在した「公立図書館司書検定試験」 を取り上げた。

1.公立図書館司書検定試験の概要
・採用試験ではなく資格試験。文部大臣の命ずる検定試験委員が実施し、願書は文部省に提出する。
・昭和12(1937)年2月から毎年1回、おそらく7回実施された。
・合格のメリットは試験規程や要項に明記されていないが、奏任官(管理職のようなもの)待遇の司書になる一つの方法であった 。
・1941年の公共図書館員の待遇を見ると奏任官で年俸1343円、判任官で月給72円、書記で月給48円。奏任官の待遇が特別良いわけではないが、ステータスは高いと考えられる。
・試験手数料は5円。先の待遇から見ても5円はそれほど気軽な金額ではない。
・学歴などの受験資格は定めず、誰でも受けることができた。合格者には小学校卒の人も、いわゆる外地出身者も、女性もいた。
・昭和12(1937)年に行われた第1回試験の内容。筆記試験が2月22日~2月25日、出題科目は国民道徳要領、国語・漢文、国史、外国語、図書館管理法、図書目録法、図書分類法、社会教育概説。筆記試験合格者に対して実地試験が課された。出願が32名、合格が18名。
・穴埋めや選択式はなく、ほとんどすべて論述問題。試験時間2-3 時間に対して3-4問といった分量。
・国語や漢文は現在の大学受験レベル、歴史は範囲が広くやや難しい。国民道徳要領は教育勅語等を丸暗記すれば答えられそう。実地試験では「ある地方の小図書館があり、時局柄予算も人員も減っているが、戦捷記念の館であるため閉館もできない。あなたならどう経営するか」といった口頭質問など。

2.試験問題についての考察
・戦前の図書館については、中央図書館制度導入による中央集権化、思想善導、読書会や読書指導といったイメージで従来は語られてきた。
・実際の試験問題について、「戦中」度数、「思想善導」度数を自分の感覚で採点し、グラフにしてみた。7回の試験を通じて、「戦中」度数は特に変化していない。
・しかし、この度数の定義はあいまいで、感覚の域を出ない。
・実際に試験内容を見ると、思想的に極端な偏りはあまり感じない。特に図書館の専門科目については、現代の採用試験で出てきても違和感のないようなものも多い 。


3.受験体験記
・青年図書館員聯盟『図書館研究』に掲載された司書検定試験学習法の記事がある。タイトルは『司書検定試験受験ノ栞』。のちに単行本化された。
・著者は山下栄。1907年、愛媛県今治市の生まれ。18歳で図書館での勤務をスタート。その後文部省図書館講習所を卒業し、24歳で大阪帝国大学付属図書館に勤務。31歳で公立図書館司書検定試験に合格。34歳で阪大を退職、日本貿易振興会付設日本貿易研究所に勤務。戦後は神戸市立図書館、尼崎市立図書館などに勤務し、60歳の時に武庫川女子大学教授となる。72歳で没。
・なお山下が阪大を退職した理由は、上司であった田中敬との衝突が原因とされる。目録の取り方等で対立した結果、田中の自宅に押し掛けて、自分の書いた論文の抜き刷りに辞表を挟んで「ぶち投げた」というエピソードが残る。
・「受験ノ栞」によれば、専門科目の検定委員:図書館管理法は今澤慈海、松本喜一、中田邦造。図書館目録法は太田栄次郎、田中敬。図書館分類法は加藤宗厚、田中敬。社会教育概説は不破祐俊。
・合格者はほぼ図書館講習所の出身者。しかも現役がほとんど。講習所を卒業しただけでは法律上「奏任官待遇の司書」にはなれなかったため、講習所の卒業試験のような意味合いもあったのかもしれない。ただし検定試験自体にそれほど魅力があったかは不明。
・なお『図書館雑誌』などの2次資料では、合格者に関する記述に矛盾が多く注意が必要。

4.司書検定試験が与えた影響
・試験合格によって奏任官待遇の司書になれる可能性があるという触れ込みだったが、実際に図書館雑誌等 に合格者が奏任待遇を得た等の記事は見当たらない。
・また検定試験が行われていた時期において、講習所修了/非修了、検定合格/非合格というグループに分けて、1955年の図書館員の名簿に載っている(=15年後にも図書館で働いている)人の割合を調査した 。結果としては、外部からの合格者に比べ講習所修了者の存率は高い傾向があるが、検定の合格有無には有意差なし。
・現行の図書館法により、公立図書館司書検定試験は廃止。すべての司書資格はいったんリセット。ただし現職者には5年間の猶予期間が設けられ、この間に司書講習を受けなければ失効。山下栄は1951年に司書講習を受けて資格を維持した。なお山下は同じ年に司書講習の講師も担当している。

5.質疑
・図書館講習所のカリキュラムと、この試験内容はどの程度合っていたのか。 →調べきれていない。当時の講習所での教科書の内容との関係を調べることなどが考えられる。
・講習所修了者の就職先を見ると、いわゆる公立図書館は少ない。公立図書館司書検定と銘打っていたが、実態は異なっていたものか。→ただし当時の「公立図書館」が現在の自治体立図書館と同じ概念であるかどうかは不明。
・試験規程では、対象者をどのように想定しているのか。→規程は官報に載っているが、費用や申込み方法など手続き的なことしか書いていない。
・試験問題から「思想善導」の意図を読み解くといったことは、厳密な言説分析が必要になるため非常に難しい。制度史や教育史、あるいは合格者ひとりひとりの人生を追うといった形の方が良いのでは。 →その通りだと思う。同時代の教員採用試験などさえもまだ見ていないので、いろいろ見てきちんとした指標が作れる可能性があるかから考えたい。
・青年図書館員聯盟は、この試験制度にはどう反応したのか。→非常に多く言及し、受験を勧めている。批判的ではない。
・当時の図書館員の採用試験に、そもそもペーパーテストはあったのか?→京都府の採用では何か書かせる試験があったはず。

当日の資料は、下記URLからダウンロード可能。(クリックするとダウンロードが行われます)
http://researchmap.jp/?action=cv_download_main&upload_id=100056

終了後、懇親会が行われた。

2014年2月24日月曜日

第22回勉強会のお知らせ

下記の日程で、第22回の勉強会を開催いたします。
御多忙のところと存じますが、ご参加をお待ちしております。

日時:2014年3月29日(土) 14:00~17:00
会場:京都商工会議所

発表者:岡田大輔氏
タイトル:公立図書館司書検定試験

また、会終了後は、懇親会を予定しております。
おおよその人数を把握したいので、参加ご希望の方は
会合の一週間前までを目安に、
事務局<toshokanshi.kansai @ gmail.com(@は半角)>までご一報ください。
twitterアカウント@k_context宛にご連絡いただいても構いません。

2014年2月14日金曜日

第21回勉強会(2014年1月18日)報告



21回勉強会(2014118)報告
「先輩司書について語る!~天野敬太郎の人生~」
日時:2014118日(土) 14:00-17:00
会場:京都商工会議所 第三会議室
発表者:今野 創祐氏
参加者数:8
当日の出席者によるtwitter上のつぶやきをまとめたものはこちら


0.天野敬太郎の略歴
1901年、京都市に生まれる。
19143月、京都帝国大学附属図書館に就職。(附属図書館見習)
1924年、京都帝国大学司書となる。附属図書館勤務。京都帝国大学書記を兼任し、こちらは経済学部・法学部勤務。
19483月、京都大学附属図書館を退職し、関西大学図書課長となる。
19673月、関西大学を退職。翌4月、東洋大学社会学部教授に就任。
19723月、東洋大学を退職。
19928月 死去。

1.京都帝大時代
・小学校卒業と同時に京都帝大に就職。その頃、附属図書館の館長は新村出だったが、初代館長の島文次郎はよく図書館に顔を出し、天野を可愛がっていた。島は天野に切手蒐集の楽しみを教え、これは天野の趣味となった。
1925年に天野が初めて雑誌(週刊朝日)に発表した文章は「切手に現はれた人物」。
19273月、初めての編書『法政経済社会論文総覧』を刊行。京都帝大教授の宮本英雄、本庄榮治郎が序文を寄せる。この本の内容については、竹林熊彦が批判している。
19311月、初めて図書関係の雑誌に論文(?)を発表
 「維新以来本邦書目ノ書目」→『日本書誌の書誌』の原型
 これ以降、雑誌上に目録、論文を多数発表し、単行書としても多くの目録類を出版する。
 論文の内容としては、各種目録や書誌に関するエッセイ・評論が多い。
Ex) 「改題・転載・剽窃物語」(『書物展望』511))
「剽窃される恐れあるもの特に編纂物は、読者の迷惑にならぬ程度で、わざと覚えの    誤りを作つて置くに限る。剽窃者は必ず誤りのまゝ剽窃するのであるから。」
1935年、文部省主催図書館学講習会の『図書目録法』講師を担当。以降、目録関連の講義を多数行い、論文も多く執筆。
1937年、「日本図書目録法案」についての論評を発表

2.関西大学時代
19483月、関西大学図書課長に就任。
 →戦後混乱期の関西大学図書館立て直しのために招聘された
・関西大学図書館での天野の業績:新分類法による図書整理を完成、開架閲覧室を開設
※ただし、天野の著作には直接的利用者サービスについての言及は見られない。上記の「業績」は第2代関西大学図書館長を務めた森川太郎の回想から。
19514月、日本図書館研究会理事長に就任。(19536月まで)
・この時期、天野は多くの大学で図書館学の講義を担当。著書も目録の採り方に関する教科書的な内容のものが増える。一方で河上肇の著作を編集したものや、関西大学の資料に関する目録類の出版も多い。『日本古書通信』に433回寄稿。
19597月、ロンドンで開催されたIFLA主催国際目録会議予備会議に日本図書館協会代表として出席。天野はNCR1952年版の現状について報告し、参考資料としてWorking Paperを提出。
 →実際には、この会議で取り立てて新しい進歩、新規な方法などはなかった。会議終了後、天野はヨーロッパ各国(イギリス、フランス、ドイツ、スイス、イタリア)の図書館を見学して帰国。
・国会図書館の雑誌記事索引を批判(『京都図書館協会会報』751965年)

2.東洋大学時代~晩年
1967年、関西大学を退職後、東洋大学社会学部教授に就任。
 時期的に鈴木賢祐の後任か。 →図書目録法、分類法、参考資料論、図書館史を担当
・同年10月、日本図書館協会分類委員会委員長に就任(1971年まで)。NDC7版の見直しを主導。
1973年から1983年にかけて『日本書誌の書誌』を刊行。これは当初国立国会図書館が出版を計画し、天野に資料援助を依頼していたが、物別れに。前出の雑索批判の背景の一つか。

◆質疑
・天野自身の著作には私生活のことが全く出てこない。弟子の回想等からようやく判明する程度。
・天野の職歴は一般的なものだったのか?
 →当時尋常小学校卒で働くこと自体は、よくあること。しかしそこから27歳で編書を出すに至る過程は不明。
・天野のNDL雑索批判について。当時(1965年頃)の雑索は試行錯誤を重ねていた。その試行錯誤を「一貫性がない」とされた面もある。

終了後、懇親会が行われた。

2013年12月3日火曜日

第21回勉強会のお知らせ

下記の日程で、第21回の勉強会を開催いたします。
御多忙のところと存じますが、ご参加をお待ちしております。

日時:2014年1月18日(土) 14:00~17:00
会場:京都商工会議所 第三会議室

発表者:今野創祐氏
タイトル(仮):先輩司書について語る! ~天野敬太郎の人生~

また、会終了後は、新年会を兼ねた懇親会を予定しております。
おおよその人数を把握したいので、参加ご希望の方は
会合の一週間前までを目安に、
事務局<toshokanshi.kansai @ gmail.com(@は半角)>までご一報ください。
twitterアカウント@k_context宛にご連絡いただいても構いません。

どうぞよろしくお願いいたします。

2013年11月22日金曜日

第2回東西合同合宿(2013年11月2日~3日)報告

日時:2013年11月2日(土)~3日(日)
会場:シェアハウス鍵屋荘(京都府京都市)
出席者:22名(東京8名、関西14名、※一日のみ参加も含む)


昨年に続き、東京と関西に拠点をもちそれぞれ活動している文脈の会メンバーの親睦と研鑽を目的とし、京都を会場として第二回目の合宿を開催した。
東西文脈の会から報告者を選び、以下に掲載する報告が行われた。


●「滋賀県における文化行政と図書館整備」(中込栞氏)


 1970~80年代の滋賀県の文化行政と図書館振興政策の関わりについての報告。報告者の卒業論文を元にした内容である。

 滋賀県の図書館振興政策について論じた先行研究は、滋賀県を見習う「べき」、という振興策ありきの論調であり、そもそも振興策がなぜ作られたのか、という点への問いかけが少なかった。そこで行政全体に関わる広義の「文化行政」に焦点を当てることで、教育委員会所管の事業にとどまらず、行政全般と図書館振興策との関連を検討した。

 1974年12月から1986年にかけて、滋賀県知事を務めたのが武村正義氏である。武村知事は琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例等に代表される「草の根県政」を標榜。文化行政の面では、「県政に文化の屋根をかける」をスローガンとして、県教育委員会に文化部を設置。その中の文化振興課が中心となって、1979年から「文化の屋根事業」が始まる。武村氏が知事に就任する以前の1970年ころから県立図書館の新館建設要望は出ていたが、1979年に新館建設起工。工事と並行して文化振興課による館長探しが行われ、日野市立図書館長などの経験を持つ前川恒雄氏に依頼し、図書館運営を任せた。(1)貸出中心(2)県立図書館による市町村立図書館のバックアップ(3)専門職重視、という理念に基づく運営で、滋賀県の図書館は大きく前進した。

 1980年に、①住民の図書館欲求の育成、②市町村立図書館整備策の二つを柱とする『図書館振興に関する提言』がまとめられた。これらのうち、①は「草の根図書館」として、②は資料費補助を伴った図書館整備補助として実現する。この『図書館振興に関する提言』は単なる図書館整のための提言ではなく、知事の目指す草の根県政の実現の手段としての図書館像を描いている。またその後整備状況によって、効果的に改訂が加えられていった。
 
 武村知事にとって、図書館振興は「草の根県政」実現のための手段であり、図書館の振興は政策的に有効と判断されるものであった。時代的背景や、行政・現場双方からの図書館に期待する役割像が一致していたなど、図書館の世界だけに留まらない行政全体としての様々な要因が加わった結果、滋賀県の振興策は成功したのだと考えられる。

◆質疑
  • 滋賀県立図書館長時代の前川氏にインタビューを行ったことがある。行政担当者としての手腕や、先進的にコンピュータを導入したことなど、図書館経営者としてマネジメント能力のある人だという印象をもった。
  • 新館建設前の県立図書館を使ったことがある。武村県政と西武グループの滋賀県への進出とが歩を合わせている様に見受けられる。  →その通り。プリンスホテルの進出、西武百貨店の誘致etc...
  • 県立図書館論について調べたことがあるが、武村知事、前川氏による滋賀県の図書館振興への意向・意志を詳しく書き残したものはほとんどない。何故か。かなり後の岸本岳文氏による記述しかまとまったものがないのが不思議。
  • 滋賀は元々、近江商人の地として、近世から書籍や情報にあふれていた印象がある。その意味で、図書館という輸入された近代的装置がそれほど求められなかったのではないか。現在の「文化行政」論の場合、方法として行政側のみの視点におうおうにしてなりがち。地域側からの視点や特性をどう入れるかが今後の議論の発展に重要になる。また、「革新官僚」としての武村知事の在り方も検討を要するのではないか。


●「竹林文庫史料から見る田中稲城」(長尾宗典氏)


 報告者による田中稲城(1856~1925)に関する研究の中間報告。初代帝国図書館長である田中については、戦前期の竹林熊彦による伝記的研究があるが、戦後はあまり研究がなされていない。同志社大学所蔵竹林文庫に含まれる田中稲城の文書は、デジタル化され提供されているが、田中の伝記的研究の欠を補うに足る一次史料であり、丁寧に見ていくことでさらなる知見が得られると期待される。
報告者は竹林文庫史料の履歴書などを使い、田中の年表作成を試みた。また、竹林が使用しているによる田中稲城文書の年代比定にも疑問点がある。この他にも田中宛の書簡から浮かび上がってくる人間関係には意外なつながりもある。

 現在までのところ、竹林の伝記も含め、田中への論級は明治の中ごろ。米国に留学してから帰朝して帝国図書館設立に至るまでの時期に集中しており、明治末期から大正にかけての田中の事績は不明な点が多い。ただし、『図書館雑誌』創刊や図書館員講習、小松原訓令の起草など図書館史上重要な事柄にも関与しており、決して重要でないわけではない。これらをどのような文脈に位置付けられるかは今後の課題である。

◆質疑
  • 竹林が「土」に連載した文章中に、田中稲城関係史料が竹林に寄託される経緯の記述がある。これ以前の竹林による田中稲城論は、竹林が個人的に収集した史料によるものか。しかし、私的な書簡がそんなに流通するものか疑問。 →竹林の田中研究はきわめて重要だが、ほとんど彼だけが研究しているので、使っている史料の面からも、批判的に吟味していく必要があると考える。
  • 田中の名の読みは「イナギ/キ」か「イネギ/キ」か。サミュエル・グリーンなど、海外の人物からの書簡が残っているようなので、手掛かりになるのでは。
  • 田中稲城を研究する意義とは。帝国図書館史研究にどうつなげるか。人物から組織を研究する際の問題点・課題を整理する必要がある。また、人物研究でもその人物の個人的資質だけでなく、組織運営能力その他の検証が必要。


●「「長田富作資料」について」(門上光夫氏)

 十五年戦争期に大阪府立図書館長だった長田富作(おさだ・とみさく)が遺した図書館活動に関する資料について紹介された。なお、この資料については第17回関西文脈の会勉強会(2012年12月)で報告いただいており、今回はそれ以降の資料整理の成果も踏まえた報告となった(長田の経歴等については、リンク先等を参照)。文書については一通り整理が完了し、前回報告時に未整理だった書簡については今年から整理が進められている。

 資料群は大阪府立図書館の庶務・展示会・貸出文庫関係、また大阪や近畿地方の連絡組織関係、日本図書館協会関係、中央図書館長協会関係のものからなり、全480点存在している。最近発行されたばかりの『大阪府立図書館紀要』第42号(2013年10月発行)に、目録を掲載してある。

 報告では資料群のなかから、青年層のための国民精神総動員文庫関連の史料、戦地への「貸出」記録、読書会の史料、大阪文化施設協会の史料、日本図書館協会や中央図書館長協会関係の議事次第や名簿などがあることが紹介された。
門上氏からは、戦時期の図書館活動に関する一次史料の発掘をこれから進めていく必要があること、並びに戦時期の図書館活動を日本の近代の歴史の中にどう位置づけて行くかという点について問題提起がなされた。

◆質疑
  • レジュメの内容紹介にある「注意」とはどんな史料か。 →提供時注意すべき資料(左派系と目されていた資料)。逆にいえばそういった資料も所蔵していた、ということ。
  • 書簡は大体何点くらいか? → 150~200点
  • 大阪文化施設協会の会則について、「文化施設」は文部省の課の名前でもある。戦時中、社会教育的な分野で施策を行う場合、「文化」の名の下に行っている。図書館史だけでなく、博物館史や戦時文化運動の史料ともなろう。
  • 中央図書館長協会についての研究でも文化施設協会の在り方は関連するのではないか。
  • 「文化」「科学」という語が広く喧伝され始めるのは1940年代から。敗戦後、唱えられたかのように思われがちだが、戦中期からのもの。これが戦後初期のスローガンのひとつ「文化国家」にスライドしてくる。この視点から捉え直す必要がある。

●「田中一貞と慶應義塾図書館」(田村俊作氏)

 慶應義塾図書館の初代監督を務めた田中一貞(たなか・かずさだ(「いってい」と読む史料もある)1872~1921)について、『慶應義塾図書館史』などを元に、経歴をたどりつつ、彼の人となりや図書館観などについて紹介がなされた。

 田中は山形県、鶴岡の出身。同郷の縁もあって若き高山樗牛とも親交を持った。慶應義塾を卒業後、アメリカ、フランスに留学し、社会学を修めた。明治37年(1904)帰国後は、慶應義塾において社会学と仏語を講じた。翌年、書館が「図書館」と改められると初代「監督」を兼任し、目録カード編成や図書館規則の制定に尽力した。長く塾長を務め、福沢没後の義塾の発展に尽くした鎌田栄吉の信任が厚く、半年以上に及ぶ欧米巡遊にもともに出かけている。

 田中の人となりについては、「開放主義」と呼ばれる人柄で、来客は夫人とともに迎え入れるような人が集まるタイプの人だったらしい。また、留学中、フランスで洋画家グループと交流を持ったこともあり、大の美術品収集家であった。病弱な一面もあったという。福沢諭吉のことをたいへんに尊敬し、「赤誠熱愛のハート」を持った教育者であったと回想している。

 図書館については、開架の提唱や塾外者の利用を認めるなど、利用者の便宜を重視する運営をした。図書館建築に一家言を持っていた人で、図書館は“防火性”“効率性”“拡張性”が重要だと述べているが、こうした田中の考えに基づいて作られた慶應義塾図書館旧館は、空襲に耐え、二度の拡張により70年に渡って本館として使われた(また田中は美観も重視し、例えば、慶應義塾図書館内のステンドグラスは、田中の発案によるものである)。大学図書館長として早稲田の市島春城とはかなり違った個性だが、ユニークな図書館人として評価できる。

◆質疑
  • 田中が「図書館の専門家」でなく「素人」というのは、和田万吉らがしきりに言っていた専門性論と関係がある?田中は社会学者の顔も持っており、そこに一種の誇りも持っていたのでは。
  • 田中という人の業績は、普通に評価すると図書館建築に一家言あった人という程度に見えてしまうが。 →図書館人の歴史的評価が何によってなされるべきかという重要な指摘。今までは書いたものの図書館観が立派なら、それで評価されていたかもしれないが、図書館経営の評価はそれでははかれない。言説だけでなく、運営実態や、機能する施設といった実務業績も見るべき。

このほか、柳与志夫氏から「短報」として、大阪府立中之島図書館の歴史を振り返りつつ、橋下市政下における同図書館の改革に関する検討動向について簡単な話題提供があった。


また、終了後はオプショナル・ツアーとして、同志社大学図書館および本会メンバーである春山明哲氏のご厚意により、同図書館竹林文庫の見学会を開催した。

2013年10月9日水曜日

第20回勉強会(2013年10月6日)報告

第20回勉強会(2013年10月6日)報告
「司書養成科目「図書・図書館史」を考える 問題編と解答編」
日時:2013年10月6日(日) 14:00-17:00
会場:京都商工会議所 第一会議室
発表者:佐藤 翔氏
参加者数:11名

当日の出席者によるtwitter上のつぶやきをまとめたものはこちら

  • はじめに
発表内容は2つに分ける。
前半が問題編で、図書・図書館史の分析。教科書の内容から、司書課程で教えられている図書館史を分析したもの。後半は解答編として、前半で分析した現状を踏まえて、自分なりに考えた図書館史の授業についてお話しする。
 2012年6月5日に筑波大学図書館系勉強会で行った発表に、プラスαした内容になる。

  • なぜ図書館史に興味を持ったか?
自分の本業はアクセスログなど、分析畑の人。もともと図書館史に興味はなかった。
 興味を持つようになった遠因は、2009年に川崎良孝先生の図書館史についての講演を聴いたこと。これが面白かった。たとえば「民主主義の砦」といった文脈で語られる事の多いボストン公共図書館が、移民を文化的に洗脳してアメリカ化するという使命を持っていたことなど。
◆参考資料:「手に負えない改革者―メルヴィル・デューイの生涯」

 近因としては、関西文脈の会の存在。ウェブなどで活動の様子を見ると面白そうで、関西では図書館史の勉強が盛んなのだなという印象を持った。また、近年刊行された図書館史系の本にも興味をそそられた。
◆参考資料:「図書館を届ける」、「越境する書物」「新たな図書館・図書館史研究―批判的図書館史研究を中心にして」「国史大辞典を予約した人々」

 さらに直接的な理由として、教員として図書館史を教えるにあたり、自分自身体系的に図書館史を学ぶ必要が生じたこと。基本を押さえなくてはならない、では教科書を読んでみようと考えた。
 司書養成課程を受講した人でも、図書・図書館史の授業を受けた人は少ない。というのは選択科目だから。最近カリキュラムが改訂されたが、趣旨はあまり変わっていない。しかも図書館史は、カリキュラム改訂の度に削除されそうになっている科目でもある。一方で、教科書は複数社から出ており、開講している大学も多いという現状がある。



  • 調査方法
では、どこの教科書がいいか。司書養成課程において一番多くテキストとして使われているものはどれか、調査した。調査に使ったのは「日本の図書館情報学教育」(2005)。この資料で、図書館史の開講大学を確認。大学のHPでシラバスを確認し、テキストが指定されている場合にはどこの教科書を使っているか調べた。
 結果は以下のとおり。
・2012年現在「図書・図書館史」を開講しているのは65大学。うち教科書が指定されているのは33大学で、残りは配布プリントや「参考資料(=紹介されているが買わなくてもよい)」。
・33大学で指定されている教科書は計10種類。
・うち2大学以上が使っているのは4点。上位3位を以下に挙げる。
 1位:JLAの図書館情報学テキストシリーズ「図書及び図書館史」。14大学で採用されている。
 2位:樹村房の新図書館学シリーズ「図書及び図書館史」(1999)。10大学で採用。
 3位:東京書籍「図書及び図書館史」。2大学で採用。

 読んでみると、共通して押さえている事柄はある一方、重視するポイントや全体の構成には差がある。
 東京書籍版では、日本史/西洋史に分ける。古代から近現代までがだいたい均等。
 JLAの旧版「図書及び図書館史」では、メディア史・西洋史・日本史という分け方。図書史と図書館史が分かれている。日本の近現代が中心。海外史は新版よりは厚いが、おおむねさらっとまとめている。JLA新版でも構成は同様。メディア史の部分が長く、全体の半分くらい。それ以外はだいたい西洋史。書き手が比較的若いことも特徴。
 樹村房では、西洋史・中国史・日本史という構成。西洋史が厚い。明治以降の日本の図書館モデルは西洋だから当然ではある。新版では、まず時代区分を採用。中国・インド・イスラム圏の記述が厚いことと、前近代についての記述が充実していることが特徴。ちなみに同志社でもこれを採用。

 しかし教科書を読んでも、そもそもなぜ歴史を学ぶのかが分からない。たとえば世界史であれば、山川出版社の教科書だと冒頭で歴史を学ぶことの意義を書いているが、それが無い。また個別の歴史的事実は書いてあるが、その歴史的意味について書いていない。事象の相互関係や、全体の流れも分からない。
 関西文脈の第6回勉強会で谷航さんが発表された「マクロ図書館史」では、メディアの発展の流れから始めていた。まさにそういう話が、教科書にもあってほしい。何が面白いのか。教員がつまらんものを学生が面白がる訳がない。
【質疑】
・授業はすべてパワーポイントで行う?→だいたいそう。メディア史のほうが食いつきがいい。現物も見せる。授業用に羊皮紙を買った。
・最終的に樹村房の教科書にした理由→時代区分を採用しているのが自分のやりたい方向と合っていたから。

  • 解答編(初回の授業を再現)
「図書館」の「歴史」なんて、自分には関係ないし興味がないと思うかもしれない。しかし実際は図書館に限らない。実験・研究・着想といった情報の精算、そして流通、保存というサイクルの歴史であり、その手段や技術の歴史でもある。
 キーワードは「共有」ということ。情報や知識をいかに共有するか。このことは図書館員に限らず、すべての人が携わることになる。特に現代では、富の源泉が知識情報になりつつある。

 では、歴史を学ぶのはなぜか。むしろ現在と未来のためにこそ過去が必要。
 古代の図書館はどんなだったか。Googleで「古代 図書館」で検索すると、ファイナルファンタジーの画像が出てくる。本がいっぱい並んだ本棚のある空間。
 しかしほんとうの古代図書館では、これはあり得ない。そもそも古代の図書館にあった本は巻子。冊子体の本(=コデックス)が生まれたのが古代ローマであり、普及したのは中世ごろ。アレキサンドリア図書館でも資料は巻子だった。西洋史においては冊子よりも巻子・板だった時代のほうが長い。「本とは何か」という定義は時代と社会の状況で変わる。
 図書館は静かにすべき場所というイメージも近代以降。そもそも昔の読書は音読だった。古代ギリシャでも黙読は行われていたが、それなりの訓練の要るスキルだった。今でいうと速読のような感じ。声に出して読むのが当たり前だった。
 このように今の認識や制度は当たり前のものではない。「図書館とはこういうもの」「これが伝統」というものについ縛られてしまうが、それを打ち破るのが、歴史を学ぶということ。現在を相対化する。過去を知ることが、過去に縛られないことになる。

 巻子が冊子に置き換わっていった過程。パピルスというのは片面印刷しかできず、巻いて保管するのに向いていた。冊子本は両面印刷。後者の方が優れている点は色々あるが、置き換えは便利さだけの問題ではない。パピルスの材料はエジプト特産。当時大きな図書館があったペルガモンはエジプトと仲が悪く、パピルスを手に入れるのが難しかった。そこで羊皮紙が発達した。パピルスに向いている巻子本という形態よりは、羊皮紙に向いていると冊子本という形態が使われることになった。特に冊子本を積極採用したのは原始キリスト教で、キリスト教の普及と共に冊子隊体が普及することになった。
 冊子体の本は片手で読める。また、途中からでも読める。巻子本は両手で持って読んでいたので、注釈を入れるのが難しい。これはテキストに注釈を入れたり、同じ個所を参照しあうことを容易にした。このように、知識の生産や消費の様式も変わる。
 歴史を学べば未来が予想できるという訳ではない。ただ、そのようにして変わるということの覚悟や自覚が得られる。見てきたような過去の変化も、変えた人自身は意識していないだろう。

 この授業で学んでほしいことは二つ。現在を相対化すること。知識の共有主体と社会は、相互作用を及ぼしつつ変化すること。
 授業は全15回。最後は図書館史を踏まえて現代の図書館のあり方を俯瞰する授業としたか
ったが、時間が足りなくなってしまった。そこで最終レポートでは、幻の15回の授業案を作
ることをレポートとして課す予定。

 現時点での弱点は、東洋が弱い。確かに近代図書館史には影響が薄いが、図書史という観点からは不可欠。時間が足りない。近現代はもっと時間をかけたい。
【質疑】
・受講生の反応は?
 →反応箇所は、相対化・相互作用、音読・黙読、巻物・冊子体、Chained libraryの順。
・情報技術の歴史については話すのか。
 →詳しいところは図書館情報技術論の方で話してもらう。こちらの授業では重要なポイントにさらっと触れるのみ。マンハッタン計画など。
・博物館学においては、博物館の歴史というのは養成過程の中であまり重視されていない。文部科学省から求められる項目にも割合が少ない。図書館ではなぜそれほど歴史を重視するのか。
 →図書館の歴史を学ぶ意義については、図書館文化史研究会で声明を出していた。
 →図書館史は研究する人が多くない。図書館情報学系では少ない。図書館の歴史研究の方法論の本は出ているが、一般的な歴史研究とは少し違う。

 終了後、懇親会が行われた。