新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、下記の日程で、第11回の勉強会を開催いたします。
御多忙のところと存じますが、ご参加をお待ちしております。
日時:2012年2月26日(日) 14:00~
会場:京都市勧業館みやこめっせ 第3多目的室
※通常の会場と異なりますのでご注意ください。
※会場へのアクセスはこちら。京都府立図書館の隣です。
今回は、テキストの輪読はありません。
発表者:岡野裕行氏(皇學館大学文学部国文学科助教)
タイトル:「日本近代文学館が設立された頃の話:今から半世紀くらい前に文学資料の未来を考えていた人々がその頃にいったい何をしていたのか」
会場費は参加者で割りたいと思いますのでご承知おきください。
差し入れ歓迎いたします。
参加ご希望の方は、事務局<toshokanshi.kansai @ gmail.com(@は半角)>までご一報いただけると助かります。
twitterアカウント@k_context宛にご連絡いただいても構いません。
※昨日の案内掲載後、早速多数の方から参加表明をいただきました。ありがとうございます。会場の都合により、多少狭くなる可能性がありますので、あらかじめご了承ください。(2011/1/9追記)
※先月中にいただいた参加ご希望が、会場の定員に達したため、次回の参加募集を終了させていただきます。事務局の不手際を深くお詫び申し上げます。当日の模様は、できる限り本ブログにも掲載したいと思いますので、ご理解いただきますよう、伏してお願い申し上げます。(2011/2/1追記)
どうぞよろしくお願いいたします。
2012年1月8日日曜日
2011年12月4日日曜日
第10回勉強会(2011年12月3日)報告
「書物としての三国志」
日時:2011年12月3日(土) 14:00〜17:00
会場:キャンパスプラザ京都第1演習室
発表者:長坂和茂
今回の発表では、日本で広く読まれている三国志について、正史の成立、演義の成立、各版本の系統から日本における受容まで、大きな視野から紹介がなされた。
当日の参加者を中心とするtwitterでの言及のまとめはこちらを参照。
以下に概要を紹介する。
零.前提知識
三国時代は184年の黄巾の乱から280年の呉滅亡までをいう。名目上は、229年孫権が皇帝を名乗り、呉を建国してからが三国時代ともいえるが、そこから234年の諸葛亮没まではわずかしかなく、三国志関係の創作ものはそれ以降をほとんどおまけとして扱う。見方によっては三国志のハイライトは、三国時代になる前にほとんど終わっているともいえる。三国志(正史)の撰者は晋の陳寿、これに劉宋の裴松子が注をつけた。紀伝体で書かれたものである。
一.陳寿本文について
三国志撰者である陳寿(ちんじゅ、233-297)は、元々蜀の人。蜀滅亡後に魏にわたり、魏晋革命により晋に仕える。生まれた翌年に諸葛亮が没しており、ほぼ同時代の歴史として三国志を編む。そのような立場なので、漢・魏・晋を正統の国として評価するが、曹操が不徳であることを示す為に、欠点のある人物として描く。劉備はかつて仕えていた国の人なので、悪く書けないが、蜀正統を打ち出す事も出来ない。孫権については、魏から見れば賊であり、蜀漢から見てもせいぜい同盟相手なので、呼び捨てにされている。司馬炎は今現在仕えている皇帝なので命にかかわるため批判が書けない、等々のバイアスがかかっていることを踏まえないといけない。ただ、その後唐代に書かれる晋書のような国家プロジェクトでなく、陳寿個人の著作として書かれたものでもあるので、避諱など厳密でないところもある。三国志は全65巻からなり、魏志が30巻、蜀志が15巻、呉志が20巻。
二.裴松子注について
裴松子(はいしょうし、372-451)はもともと魏に仕えていた一族で、西晋・東晋を経て劉宋に仕える。陳寿本文がごく簡潔な記述に止まるため、文帝から命じられて、裴松子が注の作成を命じた。裴松子注はとにかく資料を集めて引用するもので、引用した資料は200以上と言われる。またそのうちのほとんどが散逸してしまっている。引用元の書名か著者が書かれているので、引用されている記述のバイアスがある程度推測できる。また、出典が書いてあるので、『諸葛亮集』など、散逸した資料の復元に使われている。歴史小説の素材にもなる。後漢書で三国志と重複するものの出典を確認するために使う、等々の利点がある。
三.刊本について
三国志の現存する刊本で最も古いものは紹興本、紹熙本。このほか呉書だけだが、咸平本(実際は北宋末か南宋初頃と推定される)などがある。紹熙本は宮内庁書稜部所蔵(1~3巻を欠く)。咸平本呉書は静嘉堂文庫所蔵。なお中華民国期に編まれた百衲本二十四史では、書稜部の紹熙本が使用されている。なお、清代考証学の成果として色々な学者によって唱えられた説をまとめた三国志集解(しっかい)もある。
四.歴史から小説へ
三国志は六朝時代に入ると、老荘思想などの影響もあって小説・講談で語られるようになった。そうした講談の種本をまとめたのが三国志平話。中国で散逸してしまっていて、現在は内閣文庫にあるものが「天下の孤本」。このほか、関羽の架空の息子が活躍する花関索伝があり、これの発見によって、三国志演義の版本の研究が進む。民衆に人気があった。ここから、荒唐無稽な内容や、大幅に史実に反する内容を排除し、士大夫の読み物に仕立て上げたのが、羅漢中(らかんちゅう、生没年不詳。元末明初の人)の三国志演義である。
五.三国志演義の刊本
三国志演義の版本には、嘉靖本、周曰校本、李卓吾本、毛宗崗本(毛本)がある。毛本は、現在演義の翻訳として販売されているものの底本。また李卓吾本は、日本での湖南文山の通俗三国志の元となり、これが吉川英治、横山光輝を経て現在に流布している三国志イメージを作っている。日本人が知っている三国志エピソードを中国人が知らないのはこのためでもある。
六.日本における受容
三国志が中国語以外の言語に翻訳されたのは、清初の満州語訳が最初と言われるが、日本でも元禄年間に湖南文山が李卓吾本を底本として翻案・翻訳した『通俗三国志』が出された。毛本をもとに翻訳したのは1912年の久保天随による『新訳演義三国志』が初。1930年代の流行の背景には戦争の影響がある。また、1970年代の日中国交正常化の影響も大きい。横山光輝が、国交正常化でようやく資料が入ってきたため、関羽・張飛の武器の設定変更などを行なったのはその一例。1990年代には、ちくま文庫から正史が刊行されたため、ブームは演義から正史へ。サブカルとの融合も進みながら現在に至っている。
主な質疑とその応答は以下の通り。
このほか、サブカルへの融合を考えると、NHKの人形劇も重要では?といった意見も出された。
終了後は忘年会が行なれ、今年の関西文脈の会はマクロに始まりマクロに終わったという意見が出された。
日時:2011年12月3日(土) 14:00〜17:00
会場:キャンパスプラザ京都第1演習室
発表者:長坂和茂
今回の発表では、日本で広く読まれている三国志について、正史の成立、演義の成立、各版本の系統から日本における受容まで、大きな視野から紹介がなされた。
当日の参加者を中心とするtwitterでの言及のまとめはこちらを参照。
以下に概要を紹介する。
零.前提知識
三国時代は184年の黄巾の乱から280年の呉滅亡までをいう。名目上は、229年孫権が皇帝を名乗り、呉を建国してからが三国時代ともいえるが、そこから234年の諸葛亮没まではわずかしかなく、三国志関係の創作ものはそれ以降をほとんどおまけとして扱う。見方によっては三国志のハイライトは、三国時代になる前にほとんど終わっているともいえる。三国志(正史)の撰者は晋の陳寿、これに劉宋の裴松子が注をつけた。紀伝体で書かれたものである。
一.陳寿本文について
三国志撰者である陳寿(ちんじゅ、233-297)は、元々蜀の人。蜀滅亡後に魏にわたり、魏晋革命により晋に仕える。生まれた翌年に諸葛亮が没しており、ほぼ同時代の歴史として三国志を編む。そのような立場なので、漢・魏・晋を正統の国として評価するが、曹操が不徳であることを示す為に、欠点のある人物として描く。劉備はかつて仕えていた国の人なので、悪く書けないが、蜀正統を打ち出す事も出来ない。孫権については、魏から見れば賊であり、蜀漢から見てもせいぜい同盟相手なので、呼び捨てにされている。司馬炎は今現在仕えている皇帝なので命にかかわるため批判が書けない、等々のバイアスがかかっていることを踏まえないといけない。ただ、その後唐代に書かれる晋書のような国家プロジェクトでなく、陳寿個人の著作として書かれたものでもあるので、避諱など厳密でないところもある。三国志は全65巻からなり、魏志が30巻、蜀志が15巻、呉志が20巻。
二.裴松子注について
裴松子(はいしょうし、372-451)はもともと魏に仕えていた一族で、西晋・東晋を経て劉宋に仕える。陳寿本文がごく簡潔な記述に止まるため、文帝から命じられて、裴松子が注の作成を命じた。裴松子注はとにかく資料を集めて引用するもので、引用した資料は200以上と言われる。またそのうちのほとんどが散逸してしまっている。引用元の書名か著者が書かれているので、引用されている記述のバイアスがある程度推測できる。また、出典が書いてあるので、『諸葛亮集』など、散逸した資料の復元に使われている。歴史小説の素材にもなる。後漢書で三国志と重複するものの出典を確認するために使う、等々の利点がある。
三.刊本について
三国志の現存する刊本で最も古いものは紹興本、紹熙本。このほか呉書だけだが、咸平本(実際は北宋末か南宋初頃と推定される)などがある。紹熙本は宮内庁書稜部所蔵(1~3巻を欠く)。咸平本呉書は静嘉堂文庫所蔵。なお中華民国期に編まれた百衲本二十四史では、書稜部の紹熙本が使用されている。なお、清代考証学の成果として色々な学者によって唱えられた説をまとめた三国志集解(しっかい)もある。
四.歴史から小説へ
三国志は六朝時代に入ると、老荘思想などの影響もあって小説・講談で語られるようになった。そうした講談の種本をまとめたのが三国志平話。中国で散逸してしまっていて、現在は内閣文庫にあるものが「天下の孤本」。このほか、関羽の架空の息子が活躍する花関索伝があり、これの発見によって、三国志演義の版本の研究が進む。民衆に人気があった。ここから、荒唐無稽な内容や、大幅に史実に反する内容を排除し、士大夫の読み物に仕立て上げたのが、羅漢中(らかんちゅう、生没年不詳。元末明初の人)の三国志演義である。
五.三国志演義の刊本
三国志演義の版本には、嘉靖本、周曰校本、李卓吾本、毛宗崗本(毛本)がある。毛本は、現在演義の翻訳として販売されているものの底本。また李卓吾本は、日本での湖南文山の通俗三国志の元となり、これが吉川英治、横山光輝を経て現在に流布している三国志イメージを作っている。日本人が知っている三国志エピソードを中国人が知らないのはこのためでもある。
六.日本における受容
三国志が中国語以外の言語に翻訳されたのは、清初の満州語訳が最初と言われるが、日本でも元禄年間に湖南文山が李卓吾本を底本として翻案・翻訳した『通俗三国志』が出された。毛本をもとに翻訳したのは1912年の久保天随による『新訳演義三国志』が初。1930年代の流行の背景には戦争の影響がある。また、1970年代の日中国交正常化の影響も大きい。横山光輝が、国交正常化でようやく資料が入ってきたため、関羽・張飛の武器の設定変更などを行なったのはその一例。1990年代には、ちくま文庫から正史が刊行されたため、ブームは演義から正史へ。サブカルとの融合も進みながら現在に至っている。
主な質疑とその応答は以下の通り。
- 版本で一番古いものは原文のままなのかどうか。→最近、トルファンで発見された呉書の残巻など、晋~唐代ころのものと思われる巻と紹熙本を比較すると、若干異同があり、実は文字が少し変わっているのかもしれない。だが量が少なく、これからの研究にまつところが大きい。
- 陳寿が蜀漢を重視しているのに、蜀志の巻数が一番少ないのは何故?→劉備が史官を置かず、記録が曖昧なのが原因。劉備流浪時代の記述が少なすぎる。曹操の不徳を批判し、蜀を讃えるならば、赤壁の戦いで曹操軍を破ったことなどアピールできるのに書かれていない。
- 最古期の版本が日本にあるというのは、国内?世界的に見て?→これは世界的に見て。戦乱が続く中国で散逸してしまったものはかなりある。
- 花関索伝で演義の研究が進んだというのは?→関羽の三男とされている関索が実在したのかどうかという長い論争に決着がついた。このほか演義に登場し、正史に登場しない人物が実在したのかしなかったのか、創作なのかどうかについても、研究が進んでいる。
このほか、サブカルへの融合を考えると、NHKの人形劇も重要では?といった意見も出された。
終了後は忘年会が行なれ、今年の関西文脈の会はマクロに始まりマクロに終わったという意見が出された。
2011年10月17日月曜日
第10回勉強会のお知らせ
下記の日程で、第10回の勉強会を開催いたします。
御多忙のところと存じますが、ご参加をお待ちしております。
日時:12月3日(土) 14:00~
会場:キャンパスプラザ京都 第1演習室
※会場へのアクセスはこちら
今回は、テキストの輪読はありません。
発表者:長坂和茂氏
タイトル:「書物としての三国志 -歴史(history)から物語(story)ができるまで-」
会場費は参加者で割りたいと思いますのでご承知おきください。
差し入れ歓迎いたします。
また、終了後、少し早いですが、
関西文脈の忘年会も合わせて行なえればと考えています。
土曜日は忙しいが夜の部だけでも…という方がいらっしゃいましたら
お気軽に事務局<toshokanshi.kansai @ gmail.com(@は半角)>までご相談ください。
(※メールアドレスを誤って記載していたため修正いたしました。大変申し訳ありませんでした)
twitterアカウント@k_context宛にご連絡いただいても構いません。
どうぞよろしくお願いいたします。
御多忙のところと存じますが、ご参加をお待ちしております。
日時:12月3日(土) 14:00~
会場:キャンパスプラザ京都 第1演習室
※会場へのアクセスはこちら
今回は、テキストの輪読はありません。
発表者:長坂和茂氏
タイトル:「書物としての三国志 -歴史(history)から物語(story)ができるまで-」
会場費は参加者で割りたいと思いますのでご承知おきください。
差し入れ歓迎いたします。
また、終了後、少し早いですが、
関西文脈の忘年会も合わせて行なえればと考えています。
土曜日は忙しいが夜の部だけでも…という方がいらっしゃいましたら
お気軽に事務局<toshokanshi.kansai @ gmail.com(@は半角)>までご相談ください。
(※メールアドレスを誤って記載していたため修正いたしました。大変申し訳ありませんでした)
twitterアカウント@k_context宛にご連絡いただいても構いません。
どうぞよろしくお願いいたします。
2011年9月12日月曜日
第9回勉強会(2011年9月11日)報告
『図書館を育てた人々 日本編I』を読む(6)
石井敦「民衆のサービスに徹した人:佐野友三郎」
日時:2011年9月11日(日) 14:00-17:00
会場:京都商工会議所第一会議室
発表者:佐藤久美子
出席者:12名
今回の発表では、日本公共図書館史のなかで続々と先進的なサービス導入に尽くしたとされる佐野友三郎(1864~1920)について、年譜を中心に佐藤氏から報告いただいた。佐野は前橋藩士の子として生まれ、群馬中学を卒業後、東京大学(のち帝国大学)に入学するが、卒業試験に際し外国語の教師と折り合わずに中退。米沢・大分で中学校の教師をした後、台湾総督府民政局に事務館として赴任する。秋田県知事の武田千代三郎の抜擢で秋田図書館長に就任すると、巡回文庫や夜間開館等様々な改革に着手した(1900~1902)。さらに彼の手腕は1903年に山口図書館長に移ってからも発揮された。
とかく佐野は著作が多く、また、図書館史のなかで言及されることも多いが、個々の業績についての評価が多く、参加者からは今回やっと全体像がわかった、という声も聞かれた。
佐野についてはこちら(wikipedia)を
また、twitterによる当日のつぶやきのまとめはこちらをご参照ください。
主な質問・議論の要旨は以下のとおり。
石井敦「民衆のサービスに徹した人:佐野友三郎」
日時:2011年9月11日(日) 14:00-17:00
会場:京都商工会議所第一会議室
発表者:佐藤久美子
出席者:12名
今回の発表では、日本公共図書館史のなかで続々と先進的なサービス導入に尽くしたとされる佐野友三郎(1864~1920)について、年譜を中心に佐藤氏から報告いただいた。佐野は前橋藩士の子として生まれ、群馬中学を卒業後、東京大学(のち帝国大学)に入学するが、卒業試験に際し外国語の教師と折り合わずに中退。米沢・大分で中学校の教師をした後、台湾総督府民政局に事務館として赴任する。秋田県知事の武田千代三郎の抜擢で秋田図書館長に就任すると、巡回文庫や夜間開館等様々な改革に着手した(1900~1902)。さらに彼の手腕は1903年に山口図書館長に移ってからも発揮された。
とかく佐野は著作が多く、また、図書館史のなかで言及されることも多いが、個々の業績についての評価が多く、参加者からは今回やっと全体像がわかった、という声も聞かれた。
佐野についてはこちら(wikipedia)を
また、twitterによる当日のつぶやきのまとめはこちらをご参照ください。
主な質問・議論の要旨は以下のとおり。
- 佐野の仕事は非常に多岐にわたっているが、彼の主要な業績というと何になるだろうか。巡回文庫、開架、児童サービスといったところかという質問があり、分類も加えるべきとの意見が出た。
- 台湾総督府時代に行った調査業務経験が、佐野の文献収集に対する考えに大きく作用しているのではないか。佐野について書かれたもののなかには総督だった乃木希典や児玉源太郎らに可愛がられたという記述があるようだが、ほかに後藤新平とも縁があるのかもしれない(これについては、中京大学社会科学研究所から『領台書記の台湾社会』という資料集が出ており、そのなかに佐野の書いた報告書が収録されている旨、参加者から補足があった)
- 佐野は何故矢継ぎ早にこれだけ色々なことができたのか、という疑問が出、報告者から、文献には「性格に慎重なところがない人であった」という人物評があることも伝えられた。
- 何故佐野がこれだけの業績を挙げられたのか、という疑問について、テキストの石井氏は「確固たる図書館思想」を持っていたからだ、という。ところが佐野は図書館の素人として迎えられ、秋田でも地元の人の補佐なしではとても仕事が出来ない状態だったことが年譜からわかる。とすると佐野の図書館思想はいつ形成されたのか。論理が混乱していないか。佐野は思想家というより実務家であって、その人が試行錯誤しながら成功事例を積み重ねて理論を作ったというほうが、実態に即しているのではないか。佐野というと『米国図書館事情』が有名だが、佐野が実際に渡米するのは、田中稲城のように館長になる前に実地を見てくる形ではなくて、館長としての仕事が軌道に乗った第一次世界大戦中(佐野にとっては晩年)の事柄に属するので、いずれにせよ「確固たる図書館思想」から佐野を評価することは慎重になったほうがよいと思われる。
- 石井敦氏による評価を要約すると、佐野は後進地域で、貧農やプロレタリアではない層に向けてサービスしたから成功した、と書いてあるが妥当なのかという疑問が出され、石井氏の見解についてはその後山口源治郎による批判が出、両者の間で意見のやり取りがあったと補足があった。
- 後に共産党幹部となった長男佐野文夫の行状について、資料が法政大学図書館に残されており、佐野の旧蔵書も一部あるらしいという情報が寄せられた(『日本図書館文化史研究会ニューズレター』103号に、同文庫について発表された小川徹氏の報告要旨が掲載されています。9/17追記しました。K_y0ne1さん情報ありがとうございました)。また、佐野文夫と菊池寛との関わりについても質問が出た。
- 佐野の交友関係について。和田万吉や太田為三郎と同級生だったというが、日図協などで交流しているのかどうか。また亡くなったときの追悼文を沢柳政太郎が書いているが、図書館関係者では誰か書いていないのか。佐野は田中稲城に師事して色々指導を受けている関係で、手紙なども残っているようで親しさが伺われる。
- 佐野の思想に関連して、そもそも日本の図書館界では何故これほどまでにアメリカを参照軸とするのか。何故選ばれたのか。という大きな疑問が出され、意見交換がなされた。
2011年8月2日火曜日
新たな図書館・図書館史研究
日本の図書館史ではなく、米国の公共図書館史に関するものですが、目次をご紹介しておきます。
(とりあえず、章レベルで。時間ができたら、節まで入れます。特に第I部は節まで入れないと、あまり意味がないので…。/8月3日追記:第1章、第2章の節レベルを追記しました。/8月7日追記:3章以降、残りの節レベルを追記しました。)
川崎良孝・吉田右子『新たな図書館・図書館史研究 批判的図書館史研究を中心にして』
京都図書館情報学研究会(発売:日本図書館協会), 2011.9. xxii,402p.
(とりあえず、章レベルで。時間ができたら、節まで入れます。特に第I部は節まで入れないと、あまり意味がないので…。/8月3日追記:第1章、第2章の節レベルを追記しました。/8月7日追記:3章以降、残りの節レベルを追記しました。)
川崎良孝・吉田右子『新たな図書館・図書館史研究 批判的図書館史研究を中心にして』
京都図書館情報学研究会(発売:日本図書館協会), 2011.9. xxii,402p.
- はじめに
- 第I部 図書館史研究の歴史的展開
- 第1章 第1世代の図書館史記述:単館史、記念誌の時代
- 1節 ジョサイア・クウィンジーの図書館史記述:単館史、記念誌の源
- 2節 ホーレス・スカダーと1876年『特別報告』:単館史の寄せ集め
- 3節 ジョシュア・W.ウェルマン:客観的図書館史記述からの離脱
- 4節 モウゼズ・C.タイラー:非歴史的な図書館史記述
- 5節 ウィリアム・I.フレッチャー:第2世代の図書館史研究への架け橋
- 第2章 第2世代の図書館史記述:革新主義図書館史学
- 1節 シカゴ学派の図書館史への取り組み
- 2節 ジェシー・H.シェラと図書館史の業績
- 3節 ジェシー・H.シェラ『パブリック・ライブラリーの成立』:社会的要因理論
- 4節 ジェシー・H.シェラ『パブリック・ライブラリーの成立』の背景
- 5節 シドニー・ディツィオンと図書館史の業績
- 6節 シドニー・ディツィオン『民主主義と図書館』:民主主義的伝統理論
- 7節 シドニー・ディツィオン『民主主義と図書館』の背景
- 第3章 第3世代の図書館史記述:修正解釈派の図書館史解釈
- 1節 第2世代の図書館史解釈とその問題点
- 2節 マイケル・H.ハリスと図書館史研究I:文化史研究とビブリオグラフィー編纂
- 3節 マイケル・H.ハリスと図書館史研究II:修正解釈
- 4節 マイケル・H.ハリスの図書館史研究の背景
- 5節 マイケル・H.ハリスの図書館史解釈:ボストン公共図書館設立の思想
- 6節 ディー・ギャリソンと図書館史の業績
- 7節 ディー・ギャリソン『文化の使徒』:女性化理論
- 8節 ギャリソンの図書館史研究:意義と限界
- 第4章 第4世代の図書館史記述:研究の広がりと深まり
- 1節 第2世代と第3世代の図書館史研究:意義と問題点
- 2節 第4世代(1985年-)の図書館史記述:背景
- 3節 第4世代(1985年-)の図書館史記述:特徴
- 4節 第4世代の図書館史研究:新しい業績と方向
- 第II部 図書館史研究の現状
- 第5章 ウェイン・A.ウィーガンドと図書館史研究:第4世代の牽引者
- 1節 はじめに
- 2節 研究の視点と方法
- 3節 ウィーガンドと図書館史の業績
- 4節 ウィーガンドと図書館史研究
- 第6章 クリスティン・ポーリーと図書館史研究:プリント・カルチャー史の研究
- 1節 はじめに:ポーリーと研究業績
- 2節 プリント・カルチャー/公立図書館の歴史研究
- 3節 歴史研究の方法論
- 4節 図書館情報学の批判的研究
- 5節 おわりに
- 第7章 アビゲイル・ヴァンスリックと図書館史研究:場の批判的考察
- 1節 はじめに
- 2節 ヴァンスリックと研究業績
- 3節 従来の図書館史建築史とカーネギー図書館の研究
- 4節 ヴァンスリックと図書館史研究
- 5節 おわりに
- 第8章 公立図書館史研究におけるジェンダー:周縁文化への着眼
- 1節 はじめに
- 2節 図書館における女性をめぐる議論の史的枠組み:レビュー論文を手掛かりにして
- 3節 図書館女性研究の主要著作
- 4節 図書館史女性史研究の2つの系譜
- 5節 批判的ジェンダー研究の視座
- 6節 批判的ジェンダー研究の成果:図書館実践をめぐる論点に着目して
- 7節 おわりに:批判的ジェンダー研究と批判的公立図書館史研究
- 第9章 公立図書館史研究における黒人:人種隔離を中心として
- 1節 はじめに
- 2節 黒人と公立図書館:1960年まで
- 3節 公立図書館での隔離撤廃と黒人の主張の時代:1960-1970年代
- 4節 図書館史研究における黒人:1970年代以降
- 5節 おわりに
- あとがき
- 索引
- 京都図書館情報学研究会と刊行物
2011年7月31日日曜日
終戦時新京 蔵書の行方
間が空いてしまいましたが、図書館史関連資料の紹介です。
『資料展示図録 終戦時新京 蔵書の行方』(京都: 京都ノートルダム女子大学人間文化研究科人間文化専攻, 2011.3)は、京都ノートルダム女子大学人間文化研究科人間文化先行主催(展示企画:岡村敬二)の展示会の図録です。開催期間は平成23年3月29日から4月12日、会場は京都ノートルダム女子大学学術情報センター前渡り廊下とのこと。
目次は次のとおりです。
- はじめに
- I 新京という町
- 長春の町の歴史
- 寛城子とロシア
- 満鉄附属地
- 商埠地の形成と城内
- 満洲国の成立と国都新京
- II 新京の文化機関
- 大学
- 博物館
- 図書館
- 新聞社
- 出版
- その他
- III 焼かれた蔵書 北小路健の場合
- 出版統制と満洲出版文化研究所
- 北小路健の履歴
- 渡満と教員生活
- 東京帰還と再渡満
- 終戦と焼かれた蔵書
- 長春で暮らす
- IV 蔵書を残す 「文化財処理委員会」
- 杉村勇造の終戦
- 「文化財処理委員会」とそのメンバー
- 収集と展観
- 「文化財処理委員会」の活動
- 後記・図版一覧
2011年7月22日金曜日
第9回勉強会のお知らせ
下記の日程で、第9回の勉強会を開催いたします。
御多忙のところと存じますが、ご参加をお待ちしております。
日時:9月11日(日) 14:00~
会場:京都商工会議所 2階第一会議室
テキスト
図書館を育てた人々. 日本編 1 / 石井敦. -- 日本図書館協会, 1983.6
http://opac.ndl.go.jp/recordid/000001644230/jpn
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN01584842
から、「佐野友三郎」を取り上げます。
報告者:佐藤久美子氏
どうぞよろしくお願いいたします。
御多忙のところと存じますが、ご参加をお待ちしております。
日時:9月11日(日) 14:00~
会場:京都商工会議所 2階第一会議室
テキスト
図書館を育てた人々. 日本編 1 / 石井敦. -- 日本図書館協会, 1983.6
http://opac.ndl.go.jp/recordid/000001644230/jpn
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN01584842
から、「佐野友三郎」を取り上げます。
報告者:佐藤久美子氏
どうぞよろしくお願いいたします。
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