2017年7月3日月曜日

第33回勉強会のお知らせ

下記の日程で、第33回の勉強会を開催いたします。
御多忙のところと存じますが、ご参加をお待ちしております。

日時:2017年7月30日(日) 14:00~17:00
会場:京都商工会議所 第一会議室(※2階です)

発表者:若林正博氏(伏見城研究会)
タイトル:「昭和伏見の古書研究者~『書物航游』に見る酒仙・若林正治~」
 
※参考図書:平澤一著『書物航游』(1990)新泉社
会終了後は、懇親会を予定しております。

おおよその人数を把握したいので、参加ご希望の方は
会合の一週間前までを目安に、
事務局<toshokanshi.kansai @ gmail.com(@は半角)>までご一報ください。
twitterアカウント@k_context宛にご連絡いただいても構いません。

2017年3月2日木曜日

第32回勉強会(2017年2月25日)報告

第32回勉強会(2017年2月25日)報告
「日本の文書館の歴史に関するラフスケッチ~図書館とあわせて」
日時:2017年2月25日(土) 14:00~17:00
会場:京都商工会議所第一会議室
発表者:佐藤明俊氏
参加者数:8名

当日の出席者によるtwitter上のつぶやきをまとめたものはこちら

はじめに
・発表者の勤務先である奈良県立図書情報館は、条例により「図書館」「電子情報の作成と発信」「公文書等の保存と閲覧」の三つの機能が定められている。
・1つの建物で文書館と図書館の機能を持つ複合施設だが、事務分掌は未分離。職員構成も一体。
・図書館系の職員から、公文書館機能についてのレクチャーを求められて話したことが本日のベース。

1.用語について
・公文書館の業務に関わる用語の説明。公文書、行政文書、ライフサイクル論、古文書、諸家文書、寺社文書、史料、記録、地域資料、郷土史家、MLAなど。

2.日本の図書館・文書館発達略史
・江戸時代以前は図書と文書の境界があいまい。文庫では両方扱っていた。
・明治以降、欧米の図書館・文書館・歴史学等の概念が導入。しかし図書館に比べ、文書館の概念はなかなか根付かなかった。
・日本図書館協会の前身である日本文庫協会の設立は1892年であるのに対し、全国歴史資料保存利用機関連絡協議会は1976年の設立。
・1908年、奈良県立図書情報館の前身である奈良県立戦捷記念図書館が設立。設立目的には「古文書類の保存」も挙げられている。ただし実際に当時どこまで古文書を扱っていたかは不明。
・当時の歴史学の対象は貴族大名クラスが中心。村役場文書などのような庶民の歴史に注目する人は少なかった。昭和初め頃、東京大学助教授の平泉澄は「百姓に歴史なんかない」「過去百年間は歴史学の対象ではない」と発言をしていた程。
・終戦直後、民主化やマルクス主義歴史学の影響等で庶民の歴史にスポットが当たる。一方で農地解放等の影響により諸家文書の散逸が進む。
・史料保存運動により、1951年に文部省史料館設立。のちの国立史料館、現在は国文学研究資料館アーカイブズ部門。
・1948年国立国会図書館が設立。形の上では旧帝国図書館を、小規模だった貴族院衆議院の図書室が吸収する形で作られた。各省庁に支部図書館が設置された。国会の指揮下でシンクタンク的機能を担わせようとする羽仁五郎の構想による。文書館にもつながりうる発想。

3.昭和中期の二つの「議論」
・1959年に日本で初めての公文書館として山口県文書館開館。県立図書館長だった鈴木賢祐(まさち)も関与。国立公文書館は1971年開館。
・1963年、日本図書館協会『中小都市における公共図書館の運営』(以下、「中小レポート」)発行。貸出を重視し、郷土資料の収集を必要としつつも、その定義として「現在出ている資料」を軽視し「殆ど利用されない虫食い本」を重んじる態度を好事家的として強く批判。
・同年『図書館雑誌』57-6掲載の、「中小レポート」作成メンバーの座談会記事。ここでも「虫くい本」を大事にする図書館員への強い批判がある。30年後、メンバーの一人である前川恒雄によって書かれた回顧記事(*1)でも同様の言及。
・1964年『図書館雑誌』58-7には、興風会図書館(野田市立図書館の前身)の佐藤真による批判記事。
・一方で、1964~1965年には史資料センター構想問題。日本学術会議の下のWGによる構想で、自治体古文書館の設置を促進し、地方ブロックごとに設置する国立館は主に複製を集めるとするもの。これに若手中堅歴史家や郷土史家が議論のしかたが非民主的で、実は原文書を旧帝大に集めようとする構想ではないかと反発し、構想は撤回された(*2)。
・中小レポートと史資料センター構想の2つの議論により、図書館と文書館が乖離。いずれも壮若対立の面があり、若の方が勝ってその後の主流となった。
・地域資料保存機能を市町村立図書館に担わせる路線は「中小レポート路線」に圧倒された。ただし1965年岡村一郎の論(*3)など、まったく無くなったわけではない。地域資料の保存は、図書館ではなく県史編纂事業、博物館、教育委員会等が担うことになる。

4.その後の展開
・昭和後期から1989年までの間、高度経済成長等の影響で県レベルの文書館設置が進む。
・市町村史編纂事業が進む。史料蓄積と、ハード面での整備も進むことに。
・1987年、公文書館法成立。
・平成期に入って、情報公開制度が普及。もともと公文書館は、作成後30年経てば歴史的な文書として公開しようという考え方。情報公開制度はこれより一歩踏み込み、プライバシー等の問題がなければ現用文書も公開すべきという考え方。
欧米では前者(公文書館)が普及した上で後者が導入されたが、日本は同時並行。

5.奈良県立図書情報館「公文書館機能」の現状について
・県の学事文書課が公文書館法を受けて公文書館を構想。
これに加え、かつて県立奈良図書館が諸家文書や戦前の公文書を閲覧に供していた実績があった。
この二つが背景。
・制度上は県総務課が県や出先機関の公文書を集中管理する強い権限を持つことになっているが、人員的な裏付けはない。
・館における公文書選別。保存年限経過文書リスト等から選ぶが、簿冊名が必ずしも内容を反映していないのが難しい。


6.質疑(主なもののみ、適宜まとめている)
  • 高度経済成長期やバブル期に市町村史編纂が進んだ理由。バブル期と、市政○周年が重なったことや横並び意識。ブームが終了した90年代以降については、参照すべき基本文献が見当たらないという問題がある。
  • 近世の藩文書がそのまま市町村立図書館に引き継がれたケースはあるか?→八戸の市立図書館は、八戸藩が持っていた資料を八戸書籍縦覧所として閲覧させたのが始まり。珍しい例。
  • 「中小レポート」の時代背景。その少し前に、年配の図書館員により図書館法改正運動が行われた。戦前の中央図書館制度の復活を目指したものと考えられ、それへの反発が若手から出てきたもの。ただし郷土資料自体よりも、それを重視する好事家的図書館員の方が批判の対象だった。
  • 「郷土史家」という語のイメージについて。郷土史家の主流層は教員だったが、昔の教員の資格は師範学校という中等教育機関でとるもの。学問的な訓練はあまり受けず、我流での研究をしている人もいたためか。著作や本人の経歴についても不正確な情報が残っている場合があり、確認の余地がある。

懇親会は、参加者が集まらなかったため省略となった。

・参考リンク:本テーマと関連し、以下の本について著者によるメルマガでの書評あり。
高山正也著『歴史に見る日本の図書館 : 知的精華の受容と伝承』勁草書房 2016.3

(*1) オーラルヒストリー研究会『中小都市における公共図書館の運営の成立とその時代』所収。日本図書館協会、1998
(*2) 経緯や反対論は、当該期の『地方史研究』『歴史学研究』による。
(*3) 『地方史研究』15-2

2017年1月19日木曜日

第32回勉強会のお知らせ

下記の日程で、第32回の勉強会を開催いたします。
御多忙のところと存じますが、ご参加をお待ちしております。

日時:2017年2月25日(土) 14:00~17:00
会場:京都商工会議所 第一会議室(※2階です)

発表者:佐藤明俊氏
タイトル:
「日本の文書館の歴史に関するラフスケッチ~図書館とあわせて(仮)」

会終了後は、懇親会を予定しております。

おおよその人数を把握したいので、参加ご希望の方は
会合の一週間前までを目安に、
事務局<toshokanshi.kansai @ gmail.com(@は半角)>までご一報ください。
twitterアカウント@k_context宛にご連絡いただいても構いません。