『図書館を育てた人々 日本編I』を読む(2)湯浅吉郎/市島謙吉
日時:2010年5月8日(土) 14:00〜16:30
会場:キャンパスプラザ京都 2階 和室
発表者:長尾宗典(国立国会図書館関西館)
出席者:石道尚子、大場利康(国立国会図書館関西館, tsysoba)、佐藤久美子(国立国会図書館関西館, satoqyu)、長尾宗典(国立国会図書館関西館)、福島幸宏(京都府立総合資料館, archivist_kyoto)、吉間仁子(国立国会図書館関西館)、米井勝一郎(K_y0ne1)
第1回勉強会に引き続き、個別の論文2本について報告及び質疑応答・議論を行なった。今回は、京都府立図書館長であった湯浅吉郎(1858-1943)、早稲田大学付属図書館長図書館長で日本図書館協会会長を務めた市島謙吉(1860-1944)を取り上げ、略歴・業績及び本書中の評価の問題につき議論した。発表者からは、図書館学者というよりは、明治期の文人型ライブラリアンというべき両者の活動をどう評価するか、という問題提起を行ない、1970年代に確立された公共図書館史像のなかで高い評価をされなかった(=本書であまり触れられていない)図書館における古典籍の収集・保存や展示会などの活動を取り上げ、図書館・博物館・文書館の連携が重視される現在の状況下では、図書館の固有性からははみ出していく文化政策的な方向を志向した両者の活動からも、今日では学ぶべき点があるのではないかと結論づけた。
また参加者より、京都府総合資料館で所蔵している湯浅関係の行政文書につきコメントがあった。
このほか、発表者が見学してきた早稲田大学付属図書館の「市島春城展」の図録についても回覧した。
主な議論の要旨は以下の通り。
- 湯浅については、高梨章氏が近年精力的に研究されていて、研究の水準を大きく引き上げている。また、長年京都府知事を務めた大森鐘一と湯浅は着任・退任の時期とも近似しており、密接な関係にあると考えられる。京都府政との関わりから、政治史的に追求していく方向も今後考えられるのではないか。
- 湯浅の業績のなかには、たとえば竹久夢二の展覧会を催し、図書館の前に少女の行列ができるというようなものもあった。これは文人世界の延長にあるものといえるし、図書館の枠にとどまらない博物館・美術館的な世界ともつながっていたと思う。
- 市島は政治家と呼ぶのが一番ふさわしいタイプだと思うが、「図書館生活二十五快」のようなエッセイを見ると、彼が図書館にも深い愛着を持っていたことがわかり興味深い。引き続き早稲田の図書館の方が精力的に研究を進めていくだろうが、日誌が残っていて翻刻もあるとのことなので、きちんと調べれば、本書中であまり明確には位置づけられていない彼の活動の詳細を追うことができそうだ。
- 『中小レポート』や『市民の図書館』が提示した公共図書館像は、ごく最近(あるいは今もなお)公共図書館の「聖典」だった。戦前の青聯もそうだが、図書館の「大衆化」を理念に掲げた人々の目には、明治の文人的な図書館人は、厳しく批判すべき対象とうつったのだろう。極端にいってしまえば、彼らにとっては、古典籍ももともと大衆のものというよりブルジョアの蔵書なのであって、そこから出発した書誌学についても、厳しい批判をする向きがあった。その流れは戦後、公共図書館「大衆化」の理念を掲げる人々の間にも継承されていたように思う。
- 1970年代の公共図書館史の枠組みにとらわれず、湯浅のような文人気質の図書館人の活動を時代の文脈のなかに位置づけていく作業は、今後必要だろう。日露戦後の地方改良運動と図書館の関係について、最近取りざたされているが、それと大森知事―湯浅のラインがどういう関係にあったかを詰めていく作業は、図書館史の新しい切り口になるかもしれない。
(文責:長尾)
※本報告の資料をご希望の方は、事務局( toshokanshi.kansai at gmail.com(atは@に置き換えてください)宛に、ご連絡先と配布希望の旨をメールにてお知らせください。折り返しお送りさせていただきます。
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