2010年9月12日日曜日

第4回勉強会(2010年9月11日)報告

『図書館を育てた人々 日本編I』を読む(3)
もりきよし「間宮不二雄 外から図書館を愛した人」

日時:2010年9月11日(土) 14:00〜16:30
会場:キャンパスプラザ京都2階和室
発表者:長尾宗典(国立国会図書館関西館)
出席者:(50音順)石道尚子, 江上敏哲(国際日本文化研究センター, egamiday)大場利康(国立国会図書館, tsysoba), 佐藤久美子(国立国会図書館関西館, satoqyu), 谷航, 土出郁子(大阪大学附属図書館, itsuchide)長尾宗典(国立国会図書館関西館), 福島幸宏(京都府立総合資料館, archivist_kyoto), 吉間仁子(国立国会図書館関西館), よねいかついちろう(K_y0ne1)

前回米井報告を受け、青年図書館員聯盟の創設者である間宮不二雄に関する論文をもとに報告と討論を行った。間宮の業績は大きく分けて、1.間宮商店の経営、2.青年図書館員聯盟の結成、3.間宮文庫にわけられる。いわゆる三大ツールの完成によって整理分野での業績に注目が集まる青年図書館員聯盟だが、間宮の発想から見ると種々の規格・基準の統一はむしろ前提で、間宮商店の刊行物などを見ると、図書館(とくに学校図書館)の経営論に関心をもっていること、間宮商店の顧客=納入先と、青年図書館員聯盟のメンバーは重なっていて、それが結成の大きな原動力となったこと、などを確認した。
また、森の記事中では触れられていないものの、日本図書館協会との関係、青年図書館員連盟の陳情に見られるような政治活動の評価、中国との関係を初めとする人間関係などは、今後間宮を調べる上での論点になるのではないかと指摘した。青年図書館員聯盟についても、図書館講習所芸艸会との比較や、間宮学校の弟子たちの活躍を丁寧に追っていくことも必要だと指摘した。

主な質問・議論の要旨は以下のとおり。

  • 本人の回想とは裏腹に、間宮が図書館用品に着目した景気が今一つつかめない。アメリカで触れることがあったのだろうか。もう少し知りたいところではある。
  • 間宮と日図協の関係について、関東大震災後に雑誌編集が東京から大阪に移ったとのことだが、震災直後ではなく若干タイムラグがある気がする。関東の雑誌を大阪で刷っていた時期よりも遅れている。逆に、間宮自身が日図協の編集をしながら、青聯図書館員聯盟の活動をしていた時期は重なっている部分もあるので、この辺りもっと詳しく調べると面白そうだ。
  • 間宮商店の経営について、確かに商店には帳簿等の資料が残っていないかもしれないが、当時の大阪の経営者の資産ということになれば、紳士録等の図書である程度埋めていけるかもしれない。大阪産業労働資料館(エルライブラリー)などにいけばヒントがあるのでは?
  • 間宮商店から出ている『町村学校図書館経営ノ実際』の本の内容がもっと知りたい。
  • 間宮が『図書館研究』に書いている論文で軍の予算獲得に学べ、と書いている。政党が弱体化するなかで、軍部は当時革新勢力の期待の的だった面もある。
  • 間宮と中国・軍部との関係について、1930年代に外地に行こうとすれば、主義や心情に関係なく、軍関係者にもあいさつしておくのは経営者の発想としてごく普通のことだったと考えられる。1920年以降になると内地に就職先がなくなってきて、多くの人が外地に転出していくことも含めて、この辺りはイデオロギーによらない丁寧な調査が必要だと思う。
  • 間宮は相当な努力をして立身した実業家という印象がある。大阪の文化人が『上方』という雑誌にいろいろ書いているが、間宮スクールの面々が顔を出していないか調べてみると面白そうだ。
  • 加藤宗厚と間宮がどこで知り合ったのかいまいちわからない。調べて欲しい。
  • 弟子たちは『図書館研究』以外にもいろいろな雑誌に書いている。そちらもフォローしていくと、また違った間宮学校のイメージができると思う。
さらに、参加者からは、戦後のものだけとはいえ、間宮文庫は充実していて、ここにしかない資料もある。以前閲覧に通ったとき、帰り際に「間宮さんも喜んでいるよ」と言っている職員の声を聞いたが、職員もこのコレクションを大事にしているので、積極的に活用すべきであるというコメントがあった。
終了後は懇親会が行われた。

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